軍機の音がきこえないところで。

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上間陽子の『海をあげる』を読んだ。
SNSでどなたかの感想を目にして興味をもち、図書館で借りたもの。
沖縄で若年出産する女性の聞き取りをする大学の先生の文章だ。気分転換にどうぞみたいな本ではないけれど、私にとっては非常によかった。よかった、も違うが。語彙…。

沖縄について、私は大阪よりさらに「知らない」。いったことがない。心からいきたいと望んだこともない。
旅行帰りのひとに向け「うわ~、いってみたいな~」みたいな反応は何度もしたし(ヨイショじゃなくて、美しい海、笑顔、地べたっぽいだらっとした感じなど素直に惹かれる)実際ご縁があれば訪れたのかもしれないけれども、
なにしろ視覚も味覚も北国寄りで。ゴーヤよりウニ、水着よりダッフルコート。30度とか短パンとかちょっと。つながりは…どうだろうかこの先も。とかなんとかよりまず。
自分は沖縄に対して常に後ろめたさをもっているから。落ち着かないのだ。

沖縄と福島ならば。連綿と「日本」がそう判断してきたのはなぜだろう。
というのは、多くの、いや多くはないかもしれないけど、少なくないひとが都度抱いてきた疑問ではなかろうか。
(「日本」はひとまず「政府」をさすが…さかのぼって「幕府」も。でもこれだけ放置してりゃ「日本国民」といってしまっていいレベルじゃん)
東京や京都にだったらやらないよね??? みたいな所業をくりかえす中枢部。辺野古や震災関連に限らず、歴史に造詣が深いなどといえない私でもその「見捨て」ぶりにはぞっとさせられてきた。
沖縄はとくに、太平洋戦争前から今に至るまでわかりやすく「捨て石」になっている。
県民の4人に1人が戦死って。市街戦って。
民間人の信じられない軽んじられかた。「内地のひと」の差別的な目線。嫌悪感をもつ。身震いがする。

かと思えば、震災以降とくに「自然とともにある暮らし」を求めてかの地に越すひとが増え、素敵レポートを発信し「うっとりしたい、仕切り直したい系」のハートに火をつける現象も絶えなかったりで…
いや、他人の生き方にとやかくいうつもりはない(移動の自由は憲法に認められた権利ですから)、
それとは別。別に。住民投票で否決され、自治体の長がはっきりしりぞけたことを国が「無視」するのは「違法」、さらに「おし通す」なんてあり得ないでしょうという話だ。法治国家として。「有罪」に決まった犯罪がなあなあのまま放置されるのも。
そこで生きるひとの気力の奪われ方を想像したら、ちょっとよそからいってリラックスは…となってしまう。逃げと無知を知っていっそう頭にくるというか。恥ずかしさでうつむくというか。
以上のことがあいまって、情けないが私には毅然とした物言いはできないけれど、上間さんは問題を公にしていくべき権利をものすごく持ったひとである。だから本作を著したのだろう。

(その彼女でさえ、沖縄に住む若い女性に「心を開かれる」ばかりではないし、生活することを選んだご本人にふりかかる暗く重い悩みや悲しみが減る気配もない)

私ごときが…の話題は避け、日々確実に存在する「オスプレイの騒音」についてを引けば。
自分が騒音に「かなりうるさい」性質で寝る際はシーンでないと切れ、エアコンの音にもいらつくタイプだから(テレビをつけっぱなしとかでもできない)余計に心に残っているのかもしれないが、
オスプレイはただうるさいだけではないとどこかで読んだのだ。
心を乱す、戦闘機の音がすると。
ひとやものを移動させるためでなく、もっともっと高く宇宙空間に飛びこんでゆくためでもなく、
命と土地を奪う目的で作られた飛行機の音。
とにかくうるさくて(90デシベルを超える。工場の中にいるのと同じ。隣で大声を出しても聞こえない)その音質は例えるのがむずかしく、
ひとを不安定にさせ、子どもを泣かせ、上空を飛ぶときは家が震えるとかいてあった。
あまりに揺れるので、みせたくても動画にとることもできず、SNSにアップできないそうだ。
と、打っているだけでこんなに苦しい。
法の下の平等とか基本的人権の尊重をきれいごとだなんだというひとのほうが間違っている。
手を引かなければいけないのは、がまんしなければいけないのは、そこに住んでいないひとだし、そのひとたちの頭上を戦闘機は飛ぶべきだ。