13歳。コンバースで登校し、ツッパリの先輩にひっぱたかれたあの日からきっと…
10年以上前でしょうか、友人と「自分の子どもがヤンキーになったらどうしよう!?」と真剣に話し合ったことがあります。
こんな話題が出るくらいなので、友人も私も揃ってヤンキー嫌い、逆にヤンキーから好かれそうな要素も全くない、相互無理解な関係を築いてきたタイプなのですが、苦心した末の二案が(どっちがどっち発だかは忘れたけれど、キキがよさそう、てことで記憶に残っているのがこれだけだったという…)、
→「毎日言い聞かせればヤンキーにはならない。それが家庭のしつけってモンですヨ!!」てのと「ヤンキーになったら血縁を切る!!!!(いきなりはかわいそうだから、発芽の時点では無視などで執行猶予を与える方向で…)」…。
幼稚極まりない発想と設定。子育て中の方や「子どもはみな社会の宝物!」的な考え方をする人々を敵に回しそうな会話ではありますが(実際に今もどちらも人の母になっていないところを見ても、子育てって心の資格がいるものなのかもしれませんね…なーんつって、人間として相当いかがなものかって女性もやってることはやってるけども…)、今でもそのシーンを鮮明に記憶しているくらい「真剣に語り合った」ことだけは事実のこのエピソード!!
えーーそんな思い出を持つ私が、このたび読んだ、速水健朗氏の『ケータイ小説的。』。発行時には地域的にちょっと有名になった本でもあります。(よね? たぶん)
私は彼の『タイアップの歌謡史』と『自分探しが止まらない』を「おーオモロ~~」くらいの感じで読んでいましたが、今回とにかく思ったのが「文章がドンドン分かりやすくなっている…!!」ということでした。新書が平易になって久しい時代らしく、以前の本も充分さらさら読めたのですが、ケータイ小説のコレはさらに…!
ソフィスティケイテッドっていうか、熟練っていうか、なんだろう、リズム? 組みとか章立ても熟考されてんかもしれませんね。義務教育を終えた人ならば、一度もスピードを落とさなくても、戻って読み直さなくても、次の日途中から取り掛かっても、誰であっても十二分に読解できる文章。それが第一印象だったわけです。
そして。嗚呼、それに比べて…!!! …つか、「それ」というのが何を指すかというと、この流れでは国語的な正解としては「本書の読み下しやすさ」になりますけれども、この場合もっともっとぐぐ~~んとそれの範囲を広げて「一般の書店や図書館にあるような既存の書物全般(古典から軽く読み飛ばせる域まで)」といってもいい…<当該書籍を含んだ、イイ大人がこれって本だよなアー?」と認識できるもの全て>に比べて。
ぎゃーーー!なんちゅう読みにくさなんだ…!!つうか、意味わっかんねえヨ…!!!てのが、「ケータイ小説」なんだわねーーー。と。 それも続けて(同時に?)理解できたしだいです。
例としてだされた「ケータイ小説」(一番売れた本だそうなので<大人気を博した>のは確かなのですが。私ですらタイトルは知ってたし)の、著者が任意で引用した一部と、そのあらすじだけで、「なんじゃこりゃー!」「わかりづらい…!!」と言い切るのはいささか乱暴なのかもしれませんが、
実際問題、率直な個人の感想としましては、「意味不明すぎてついていけない」「いかなくてもいい」「てか、理解したい…!という希求も特に生まれない」に尽きるみたいな、えーーそのーーそーいう感じだったんで~~。
…「ケータイ小説」というものが存在し、局地的にえらく売れていることを知った時点で「でも、私はきっと読まなくてもいいなーー。おもしろいと感じられなさそうだから」と判断した自分は(自分としては)どうやら正しかったようです。それは著者の言うとおり「差別」なのかもしれないけれど、趣味嗜好なんてそんなものだから、良くも悪くもないジャッジであったと思います。
しかし。
それとは別に、「被差別小説」というネーミングや、その分野を取り上げてここまで魅力的な文章で、最後まで破綻することなく(全ての謎を解くとか、きれいに収束させるより、投げっぱなしでもいいから→著者は投げていないけれど 散漫にならずに読みきらせる魅力…!!みたいなほうがこういう本には大事だと思う)走り抜く筆力は賞賛に値すると思われ、そこは当方も充分堪能したわけでーーー。
要するに。「<ケータイ小説>には(依然として)興味は持てないが、その背景はこういうものだったのかア~!!なるほどネー!いやーーおもしろいもんだ!!」てのが私の主だった感想であり、この本を読まれる人々の大方の感想でもあろう、ということです。(ケータイ小説の実態を知るほどに、その読者がこういった本を読むとは思えないから…)
でもって。本著の全体に亘って描かれているのが、上記の感想の<その背景>の部分なんですけれどもー。
これがー!これが、日記冒頭部のような「四の五の言わずに<ヤンキー>はカンベン~~!!(いなくなればいい!とかじゃなくて「関わりたくない」)」タイプの人間にとっては、いちいち腑に落ちるのなんのって。わかりすぎて気持ちいい…!(マジで!「生理的に<ヤンキー(及びヤンキー的センス)は、ちょっと…>と思われている方々」はゼヒ本著を読むといいですよーー!!)
ケータイ小説(とその著者や読者)との関連が語られる、浜崎あゆみ、『ホットロード』、『NANA』、郊外ショッピングモール、ケータイ(機種本体のこと)……アンチヤンキーの人だったら、これらは全て「出来うる限りスルーしてきた(攻撃もしないが、惹かれるとはゆめゆめ思わない)」ものだったはずで、このピックアップだけでも私は著者を信じられる気になりました。
そうそう…私もアムロちゃんは好きだったけど(←今も昔も)あゆは「ふうーん」って感じだったし、『ホットロード』は当時あれだけ人気があったので読んでさすがに面白いと思ったけど、「ママむかつく…!」と本気で憤る級友とか「夢は…春山の赤ちゃんを産むこと」とか言い出す和希には到底ついていけなかったし、『NANA』についてはパンク好きな友達が怒り狂ってたのに乗じて読まずに済ませたままですが全く後悔してないし、郊外ショッピングモールと携帯に至っては…そーいうのを大好きなOTOMEなんているのかい…????? って話じゃないですかアーーー!!!(私が乙女かはさておき) ソレを使用することのあるなしに関わらずー。
ま、そーいうアレで。
人の嗅覚ってゆうんですか? ヤンキー臭がするもの全部を「なんか別にいいや…」と遠ざけてきた私が、「ケータイ小説」たらいうものを「売れてるみたいだけど、興味がないや…(→売れてるみたいだから一応チェックしておこう!という反応のときもあるのですが)」と感じたのは無理もなかったというか、自然なことだったんだな~~~!!つー。それがスパーーーン!!と語られたかっこうになり、楽しかったです。
20世紀も21世紀も昭和も平成も、人はなんだかんだいって「トライブ(族)」の枠内で生きているもんなんですね。趣味嗜好の種類(区分け)の数も案外変わらないんだなー、つーか、昔の10代にも今の10代にもヤンキーは連綿と存在し、オサレ気どりも文化系の鼻もちならない奴(誰のこと…?)もいて、相いれないもんなんだなあーと思いました。そして、それでいいんだ。とも。
やっぱり私は、なるべく郊外(ここで著者の語るような)には近寄らないようにして、「つながる」第一主義に陥らないで生きていきたいわア…!(最後に本心からのつぶやき!!)
こんな話題が出るくらいなので、友人も私も揃ってヤンキー嫌い、逆にヤンキーから好かれそうな要素も全くない、相互無理解な関係を築いてきたタイプなのですが、苦心した末の二案が(どっちがどっち発だかは忘れたけれど、キキがよさそう、てことで記憶に残っているのがこれだけだったという…)、
→「毎日言い聞かせればヤンキーにはならない。それが家庭のしつけってモンですヨ!!」てのと「ヤンキーになったら血縁を切る!!!!(いきなりはかわいそうだから、発芽の時点では無視などで執行猶予を与える方向で…)」…。
幼稚極まりない発想と設定。子育て中の方や「子どもはみな社会の宝物!」的な考え方をする人々を敵に回しそうな会話ではありますが(実際に今もどちらも人の母になっていないところを見ても、子育てって心の資格がいるものなのかもしれませんね…なーんつって、人間として相当いかがなものかって女性もやってることはやってるけども…)、今でもそのシーンを鮮明に記憶しているくらい「真剣に語り合った」ことだけは事実のこのエピソード!!
えーーそんな思い出を持つ私が、このたび読んだ、速水健朗氏の『ケータイ小説的。』。発行時には地域的にちょっと有名になった本でもあります。(よね? たぶん)
私は彼の『タイアップの歌謡史』と『自分探しが止まらない』を「おーオモロ~~」くらいの感じで読んでいましたが、今回とにかく思ったのが「文章がドンドン分かりやすくなっている…!!」ということでした。新書が平易になって久しい時代らしく、以前の本も充分さらさら読めたのですが、ケータイ小説のコレはさらに…!
ソフィスティケイテッドっていうか、熟練っていうか、なんだろう、リズム? 組みとか章立ても熟考されてんかもしれませんね。義務教育を終えた人ならば、一度もスピードを落とさなくても、戻って読み直さなくても、次の日途中から取り掛かっても、誰であっても十二分に読解できる文章。それが第一印象だったわけです。
そして。嗚呼、それに比べて…!!! …つか、「それ」というのが何を指すかというと、この流れでは国語的な正解としては「本書の読み下しやすさ」になりますけれども、この場合もっともっとぐぐ~~んとそれの範囲を広げて「一般の書店や図書館にあるような既存の書物全般(古典から軽く読み飛ばせる域まで)」といってもいい…<当該書籍を含んだ、イイ大人がこれって本だよなアー?」と認識できるもの全て>に比べて。
ぎゃーーー!なんちゅう読みにくさなんだ…!!つうか、意味わっかんねえヨ…!!!てのが、「ケータイ小説」なんだわねーーー。と。 それも続けて(同時に?)理解できたしだいです。
例としてだされた「ケータイ小説」(一番売れた本だそうなので<大人気を博した>のは確かなのですが。私ですらタイトルは知ってたし)の、著者が任意で引用した一部と、そのあらすじだけで、「なんじゃこりゃー!」「わかりづらい…!!」と言い切るのはいささか乱暴なのかもしれませんが、
実際問題、率直な個人の感想としましては、「意味不明すぎてついていけない」「いかなくてもいい」「てか、理解したい…!という希求も特に生まれない」に尽きるみたいな、えーーそのーーそーいう感じだったんで~~。
…「ケータイ小説」というものが存在し、局地的にえらく売れていることを知った時点で「でも、私はきっと読まなくてもいいなーー。おもしろいと感じられなさそうだから」と判断した自分は(自分としては)どうやら正しかったようです。それは著者の言うとおり「差別」なのかもしれないけれど、趣味嗜好なんてそんなものだから、良くも悪くもないジャッジであったと思います。
しかし。
それとは別に、「被差別小説」というネーミングや、その分野を取り上げてここまで魅力的な文章で、最後まで破綻することなく(全ての謎を解くとか、きれいに収束させるより、投げっぱなしでもいいから→著者は投げていないけれど 散漫にならずに読みきらせる魅力…!!みたいなほうがこういう本には大事だと思う)走り抜く筆力は賞賛に値すると思われ、そこは当方も充分堪能したわけでーーー。
要するに。「<ケータイ小説>には(依然として)興味は持てないが、その背景はこういうものだったのかア~!!なるほどネー!いやーーおもしろいもんだ!!」てのが私の主だった感想であり、この本を読まれる人々の大方の感想でもあろう、ということです。(ケータイ小説の実態を知るほどに、その読者がこういった本を読むとは思えないから…)
でもって。本著の全体に亘って描かれているのが、上記の感想の<その背景>の部分なんですけれどもー。
これがー!これが、日記冒頭部のような「四の五の言わずに<ヤンキー>はカンベン~~!!(いなくなればいい!とかじゃなくて「関わりたくない」)」タイプの人間にとっては、いちいち腑に落ちるのなんのって。わかりすぎて気持ちいい…!(マジで!「生理的に<ヤンキー(及びヤンキー的センス)は、ちょっと…>と思われている方々」はゼヒ本著を読むといいですよーー!!)
ケータイ小説(とその著者や読者)との関連が語られる、浜崎あゆみ、『ホットロード』、『NANA』、郊外ショッピングモール、ケータイ(機種本体のこと)……アンチヤンキーの人だったら、これらは全て「出来うる限りスルーしてきた(攻撃もしないが、惹かれるとはゆめゆめ思わない)」ものだったはずで、このピックアップだけでも私は著者を信じられる気になりました。
そうそう…私もアムロちゃんは好きだったけど(←今も昔も)あゆは「ふうーん」って感じだったし、『ホットロード』は当時あれだけ人気があったので読んでさすがに面白いと思ったけど、「ママむかつく…!」と本気で憤る級友とか「夢は…春山の赤ちゃんを産むこと」とか言い出す和希には到底ついていけなかったし、『NANA』についてはパンク好きな友達が怒り狂ってたのに乗じて読まずに済ませたままですが全く後悔してないし、郊外ショッピングモールと携帯に至っては…そーいうのを大好きなOTOMEなんているのかい…????? って話じゃないですかアーーー!!!(私が乙女かはさておき) ソレを使用することのあるなしに関わらずー。
ま、そーいうアレで。
人の嗅覚ってゆうんですか? ヤンキー臭がするもの全部を「なんか別にいいや…」と遠ざけてきた私が、「ケータイ小説」たらいうものを「売れてるみたいだけど、興味がないや…(→売れてるみたいだから一応チェックしておこう!という反応のときもあるのですが)」と感じたのは無理もなかったというか、自然なことだったんだな~~~!!つー。それがスパーーーン!!と語られたかっこうになり、楽しかったです。
20世紀も21世紀も昭和も平成も、人はなんだかんだいって「トライブ(族)」の枠内で生きているもんなんですね。趣味嗜好の種類(区分け)の数も案外変わらないんだなー、つーか、昔の10代にも今の10代にもヤンキーは連綿と存在し、オサレ気どりも文化系の鼻もちならない奴(誰のこと…?)もいて、相いれないもんなんだなあーと思いました。そして、それでいいんだ。とも。
やっぱり私は、なるべく郊外(ここで著者の語るような)には近寄らないようにして、「つながる」第一主義に陥らないで生きていきたいわア…!(最後に本心からのつぶやき!!)
"13歳。コンバースで登校し、ツッパリの先輩にひっぱたかれたあの日からきっと…" へのコメントを書く